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秘仏 特別公開 ②


前回の続き



大修復中の国宝仁王門をすぎ、いよいよ金峯山寺本堂蔵王堂へ。



この中に秘仏が・・・・!!!



1000円支払い中へ。



ちなみに今の期間中は金峯山寺の秘仏のみ特別公開ではなく、


他にも東南院(とうなんいん)、善福寺(ぜんぷくじ)、大日寺(だいにちじ)※要拝観料、喜蔵院(きぞういん)、櫻本坊(さくらもとぼう)※要拝観料、竹林院(ちくりんいん)※要拝観料(400円)、弘願寺(こうがんじ)、如意輪寺(にょいりんじ)※要拝観料



以上9か所 吉野山 寺宝めぐりとして 寺宝が公開されています。





各寺の距離や場所はこんな感じ


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国宝 金峯山寺蔵王堂に到着



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内部は写真撮影禁止のため、公開されている写真を載せます



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この金峯山寺の秘仏・・・やっと拝めれました


1周回って歩く事ができ、最後はご本尊の前で座って瞑想?(1分ほど)することができました



1000円支払いましたが十分にその価値はあったし、木の札と金峯山寺の袋付きでした



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蔵王堂横に威徳天満宮
如意輪寺の開基・日蔵上人が菅原道真をこの地に祀ったものであるとのこと。


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装飾がきれい


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絵馬堂を通り抜けると南朝妙法殿(蔵王堂西側に位置)



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【秘仏 金剛蔵王大権現】HPより


金峯山寺にお祀りされる御本尊は、金剛蔵王大権現であります。
今から1300有余年前、金峯山山上ヶ岳に役行者が一千日の修行に入り、感得された権現仏であります。
権現とは権(仮り)に現われるという意味で、本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化されて、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現されました。
また金剛蔵王とは、金剛界と胎蔵界を統べるという意味も表しています。

金峯山寺の本堂。秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体のほか、多くの尊像を安置しています。
重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートル。堂々とした威容の中に、優雅さがあり、たいへん勝れた建築という高い評価を得ています。
金峯山寺内では古くから、白鳳年間に役行者(えんのぎょうじゃ)が創建されたと伝えており、また、奈良時代に行基菩薩が改修されたとも伝えています。
その後、平安時代から幾度か焼失と再建を繰り返し、現在の建物は天正20年(1592)頃に完成したものです。
大正5年から13年にかけて解体修理が行なわれ、昭和55年から59年にかけて、屋根の桧皮の葺き替えを主として大修理を行ないました。


平成31年春季「秘仏本尊 特別ご開帳」は平成31年3月30日(土)~新元号元年5月6日(月・休)






【金峯山寺】HPより
大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。
この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。
この姿を山桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。
これが金峯山寺の開創と伝えられています。  
明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一時期、廃寺となり復職神勤しますが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、その総本山として今日に至っています。
山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号しています。
平成16年「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとして金峯山寺本堂蔵王堂及び仁王門がユネスコの世界文化遺産に登録されました。

【本堂 蔵王堂(国宝)】
金峯山寺の本堂。秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体のほか、多くの尊像を安置しています。
重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートル。堂々とした威容の中に、優雅さがあり、たいへん勝れた建築という高い評価を得ています。
金峯山寺内では古くから、白鳳年間に、役行者(えんのぎょうじゃ)が創建されたと伝えており、また、奈良時代に、行基菩薩が改修されたとも、伝えています。
その後、平安時代から幾度か焼失と再建を繰り返し、現在の建物は天正20年(1592)頃に完成したものです。
大正5年から13年にかけて、解体修理が行なわれ、昭和55年から59年にかけて、屋根の桧皮の葺き替えを主として大修理を行ないました。


【仁王門(国宝)】
本堂(蔵王堂)北側に位置する重層入母屋造、高さ20.3メートルの壮大な日本屈指の山門です。
二階建てで、一階と二階の境目にも屋根の出を有する本瓦葺きの二重門です。
本堂が南を正面とするのに対し、仁王門は北が正面。これは、熊野(南)から吉野(北)へ向かう巡礼者と、吉野(北)から熊野(南)へ向かう巡礼者、両者に配慮して互いに背を向けるように建っているのだといいます。
門の左右に安置された高さ5.1メートル、桧材寄木造りの金剛力士(仁王)像は重要文化財で、日本で二番目の大きさを誇ります。
延元3年(1339)、南都大仏師康成の作です。このことから仁王門は延元3年頃の南北朝時代の再建とされています。
なお、現在、約70年ぶりとなる大修理が行われています。


【役行者神変大菩薩】
日本の正史『続日本紀』によると役行者は634年(舒明天皇6年)、御所市茅原で誕生。
名は小角といい、幼少の頃より葛城山で修行するなど山林修行や苦行の末、金峯山上にて金剛蔵王大権現を感得され、修験道の基礎を開かれたと伝えられています。
やがて修行の高まりと共に、強固な精神力と、煩悩を克服した境地に達し、呪術家としての名声は天下に鳴り響りました。
699年(文武天皇3年)、韓国連広足(からくにのむらじひろたり)の謗言によって伊豆大島に流罪になり、701年(大宝元年)無罪がわかり、許されて都に戻られました。
同年6月7日68歳で、箕面の天上ヶ岳にて入寂されたと伝えられていますが、異説も多く、「昇天した」「母を鉄鉢にのせて海を渡って入唐した」などと多くの伝説が残されています。
その尊像の多くは、折伏した2匹の鬼(前鬼・後鬼)を従えた仙人風の姿で祀られています。
1100年忌にあたる1799年(寛政11年)に光格天皇より、神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡号(しごう)が贈られました。


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