旧本多忠次邸
車で走っていると立派な洋館が♪
今回お邪魔した旧本多忠次邸は、旧岡崎藩主本多家(本多忠勝系:本多 忠勝(ほんだただかつ)は、
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。)の末裔にあたる本多忠次が、
昭和7年(1932年)、東京・世田谷に建てた住宅と壁泉の一部を移築し復原したものです。
岡崎市では、建築・意匠・技術・室内装飾にいたって学術的な価値がある旧本多忠次邸を保存し、
その活用を通じて、文化財の保護についての関心や理解を深めていただくことを目的に公開展示しています。
館内では当時の家具、ステンドグラス等の調度品が常設展示されています。
また年数回の企画展示や歴史文化講座、サポーターの会による案内やおもてなし企画の開催のほか、
一部の部屋は展示室としてご利用いただくことができます。


屋敷に入るのに長いスロープが

こちらはプール(壁泉)

早速靴を脱ぎ中に。
ここは団らん室

食堂

逆光になっちゃった食堂。ステンドグラスがきれい

夫人室
ひな祭りの時期の為お雛様が飾られていました

お気づきになられましたでしょうか?
お雛様とお内裏様の一が今と逆になってます
昔はこれが正しい飾り方だったそうで、昭和初期頃に今の飾り方になりました

日光室たるものまで w

この時代ですごくおしゃれなお風呂♪



寝室

2Fにもお風呂が!!

お茶室

消火栓

2F3つつながった和室に大正時代のお雛様



初めてみました!!
御殿飾りのひな人形

名古屋バージョン??

装飾の1つ1つも凄かった


こちらは昭和40年製だそうで、本多忠次氏が長女の為に購入したもの




ちょっと怖かった市松人形w

2Fから1Fに降りる階段にもステンドグラス


ほんとに1つ1つの装飾が素晴らしかった

蓄音機??

そこらじゅうにオイルヒーター?がありました

≪旧本多忠次邸≫
岡崎市欠町足延40-1
電話番号0564-23-5015
今回お邪魔した旧本多忠次邸は、旧岡崎藩主本多家(本多忠勝系:本多 忠勝(ほんだただかつ)は、
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。)の末裔にあたる本多忠次が、
昭和7年(1932年)、東京・世田谷に建てた住宅と壁泉の一部を移築し復原したものです。
岡崎市では、建築・意匠・技術・室内装飾にいたって学術的な価値がある旧本多忠次邸を保存し、
その活用を通じて、文化財の保護についての関心や理解を深めていただくことを目的に公開展示しています。
館内では当時の家具、ステンドグラス等の調度品が常設展示されています。
また年数回の企画展示や歴史文化講座、サポーターの会による案内やおもてなし企画の開催のほか、
一部の部屋は展示室としてご利用いただくことができます。


屋敷に入るのに長いスロープが

こちらはプール(壁泉)

早速靴を脱ぎ中に。
ここは団らん室

食堂

逆光になっちゃった食堂。ステンドグラスがきれい

夫人室
ひな祭りの時期の為お雛様が飾られていました

お気づきになられましたでしょうか?
お雛様とお内裏様の一が今と逆になってます
昔はこれが正しい飾り方だったそうで、昭和初期頃に今の飾り方になりました

日光室たるものまで w

この時代ですごくおしゃれなお風呂♪



寝室

2Fにもお風呂が!!

お茶室

消火栓

2F3つつながった和室に大正時代のお雛様



初めてみました!!
御殿飾りのひな人形

名古屋バージョン??

装飾の1つ1つも凄かった


こちらは昭和40年製だそうで、本多忠次氏が長女の為に購入したもの




ちょっと怖かった市松人形w

2Fから1Fに降りる階段にもステンドグラス


ほんとに1つ1つの装飾が素晴らしかった

蓄音機??

そこらじゅうにオイルヒーター?がありました

≪旧本多忠次邸≫
岡崎市欠町足延40-1
電話番号0564-23-5015
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