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家康のパワースポット?


山中八幡宮に行ってきました


≪HPより≫

家康公の父・広忠が再興したといわれ、家康公初陣の際に必勝祈願した神社です。


三河一向一揆の際に、追われた家康公が境内の洞窟(鳩ヶ窟)に


身を隠して難を逃れるなど、尊崇した場所です。



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灯籠の後ろにあるのは岡崎市指定文化財の山中八幡宮のクスノキ


しかも竜が巻き付いてる



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慶取門


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本殿


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手水舎


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山側に向かい鳩ヶ窟方面へすすみます


鳩ヶ窟とは・・・家康家臣の菅沼定顕が、上宮寺から糧米を強制徴収したことに始まった

三河一向一揆で追われた家康がこの山中八幡宮の洞窟に身を隠し、難を逃れたと言われています。



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【山中八幡宮】HPより
当地に山中光重という人があり、朱鳥14年(699年)9月9日、
宇佐八幡大神の夢のお告げで神霊を迎え、当地に社を建てたのがはじめといわれる。
敷地内に「鳩ヶ窟」(はとがくつ)と呼ばれる洞窟があり、永禄6年(1563年)に起こった三河一向一揆の戦いで、
徳川家康が敗れて逃げ隠れた洞窟といわれる。
追手の兵がこの中を探そうとしたが、洞窟から白い鳩が2羽飛び立ったので、
追手の兵は「人のいる所に鳩などいるわけない」といって通り過ぎ、家康は難をまぬがれたといわれる。
その後、この洞窟を鳩ヶ窟といい、このことにより八幡宮の山を御身隠山(おみかくしのやま)と呼ぶようになった。
慶長8年(1603年)8月26日の家康朱印状で180石を寄進された。
寛永11年(1634年)8月23日に3代将軍徳川家光が上洛の際に参拝。
家康公の父である8代広忠が再建したと言われています。 

天然記念物となる山中八幡宮のヒメハルゼミ生息地。

2004年(平成16年)2月27日、ルリミノキ、オオフユイチゴなどの群落を有する
山中八幡宮の森(5.5ヘクタール)が愛知県自然環境保全地域に指定されている。

毎年正月3日に開催される御田植神事「デンデンガッサリ」。
室町時代から続く五穀豊穣を祈る神事で、無形民俗文化財に指定されています。

祭神は応神天皇、比咩大神、息長足姫命。

愛知県岡崎市舞木町宮下8



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