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残念な気分になった寺院

知多の光明寺行ったあとに、時間があったので野間大坊(愛知県知多郡美浜町大字野間字東畠ケ50)に行ってきました


野間大坊は、鎌倉幕府を開いた源頼朝が寄進した念持仏を本尊様として
源頼朝が本尊様に願い続け、祈願を達成したことから、祈願成就の寺としてなってるそうです



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HPより

「野間大坊」が建立されたのは680年頃と言われており、その後750年頃に行基によって発展し、
空海も訪れて祈ったという大変歴史ある真言宗のお寺です。
源頼朝公の父、源義朝公が眠るとされるお寺で、野間大坊(のまだいぼう)の名前で知られていますが、
正式には鶴林山大御堂寺(かくりんざんおおみどうじ)といい、本尊は阿弥陀如来です。
歴史は古く、天武天皇(673年~686年)の時代に建立されています。
鐘楼堂の梵鐘には建長2年(1250年)の銘があり、国の重要文化財に指定されています。
平安時代の末期、平治の乱で平清盛公に敗れた源義朝公が家臣(長田忠致・景致)を頼って
野間にやってきましたが、二人の裏切りに合い入浴中に殺されてしまいます。
その時、義朝公の御首を洗ったとされるのが「血の池」とされ、
義朝公のお墓のほか、平家追討、奥州征伐を終えた頼朝公が寄進した大門も残されています。
また、豊臣秀吉公に敗れてこの地で自害した織田信長公の三男信孝公の墓もあり、
重要な史跡が境内に数多く残されています。


義朝の廟。お墓です。



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1159年、平治の乱に敗れて逃げ落ちた義朝は、野間の長田忠致の許に身を寄せましたが、
忠致は平家からの恩賞目当てで入浴中の義朝を謀殺。
この時、義朝は「我れに木太刀の一本なりともあれば」と無念を叫んだと言われています。
これにちなんで義朝のお墓には幅約3センチ、長さ約40センチの木刀が沢山供えられています。
同じ敷地には、織田信長の三男・織田信孝の墓(織田信孝は信長死後の政権争いで羽柴秀吉に破れ、
ここ野間大坊で自害を命じられました)もあります。








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なにやら境内でフリマとイベントをしているらしく、にぎやかでした


静かにお参りしたかった私は残念で仕方なかったですが



これも地域活性化をはかるにはいたしかたないですね




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イベントが落ち着いた瞬間に本堂をパシャリ



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入浴中だまし討ちにあった義朝の首を洗ったと言われる「血の池」。
国に異変があると、池の水が赤く染まると言うおどろおどろしい伝説があります。
他は、義朝の息子、頼朝が亡父のためにこの地を訪れ長田親子を磔にしたという松の木などがあり
戦国時代を物語れる場所かなと。


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マニ車堂というものがありました。
回転させると功徳が得られるというそうです。
オンマニパドマフンと唱えながら回すそうです


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そしてなぜかちょっとモロだしのたまに寺院でみかけるものがここにもありました



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境内の西にある「お砂踏み」がありました。
四国八十八ヶ所のお砂が埋まっており、
各寺院の名前を見ながら通ると、四国に行くことができない人でも
四国八十八か所霊場巡りと同じ徳をつむことができるそうです。



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この宮殿内に続きがありました

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この宮殿内にお守り等ありましたが、巫女さんと呼ばれる人もいなく、


近所のおばちゃんらしき普段着な人が3.4人集まり大きな声で



『旦那がさー!』『この前ランチした場所が』等、



ほんとうに関係ない世間話を大声でしてて大笑い付き。。。


ほんとにテンションさがりまくりました


なんなんここ・・・・って残念すぎる!!!





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歴史上で有名な人達が関わっている由緒あるのに、一番大事に残さないといけない



建造物に穴をあけて照明や防犯カメラがたくさんあって



どの建造物も手入れも全然されてなくて、蜘蛛の巣やたくさんのゴミ。


ずれてしまった木の板も長年そのままというのも垣間見れすごく悲しい気分になりました



なのにお金もうけはしたいというのが全面に出てました



お守りは他の寺院と同じデザインのものでも約1.5倍から2倍も高かった



もう二度と参ることはないかなと・・・



しかしほんとにこんなに残念は気持ちになった寺院は初めてです



弘法大師(空海)が全国を廻った折、この地で一千座の護摩を焚き、庶民の幸福を祈った場所でもあります


だから三鈷杵もありました・・・


だからこそ残念でした 泣。





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