15猫生
2011年4月16日 17時23分 あき 永眠
あっこのちょっとした記録のための記事です
最後にあきの最期の写真もあるので見たくない人は閉じてください
15年前にあきと出会い、あきはカラスに食べられかけたおなかの負傷時に私と出会う
病院で命の峠を越え 私の元にやってきた
あきはビニール袋をまるめたおもちゃで遊ぶのが大好きな子だった
何回遠くに投げても、私のもとへ、口にくわえてもってきて そういう遊びをしてた
ここは あきのお気に入りの場所
でも、病気になってここに乗れなくなっても 乗ろうとするので
何回も乗せてはおろしてを繰り返してた
生クリームが大好きなあき
2階のベランダでくつろぐのが大好きで 気持ち良さそうにしてた
あきが2.3歳のころに お手とお座りを教えたらけっこうすんなり覚えたので
それから 我が家に来た猫ちゃんはみんなお座りとお手をするようになった
寒がり屋さんで、いつもハナとストーブ前の陣取り合戦をしてた
結露を舐めるのが好きで、あきの冬の風物詩となった
いつも3にゃん一緒で猫団子を作ってた
猫ベットを買っても、3にゃん 1つに集まるので私はいつもほほえましくみてた
尿の量・回数 ごはんを食べる量等 気になったため、病院に行くと、
2009年3.15 慢性腎不全と診断される
体に変化が出た状態で診断結果だったので
腎臓の7割がもうすでに稼働していない状況だった
残りの3割で動いていない7割分も一緒に稼働しないといけない事になってしまった
ここからあきにとって生きるためのつらい闘病生活が始まる
3。4日に1回の点滴が徐々に増え、最終には1日2回も
あきの体に針を刺さなければいけない事態になってしまった
なのに、あきはほんとにいい子で、抵抗もほとんどしなかった
私には この後姿がすごくつらかった
小さいころから魚(刺身も水煮も好き)が好きで釣るたびにあげてた
あきは、私の部屋着の上で寝るのが好きで(あきの上にあるピンクのズボン)
私は面白がって、服を着ては脱いで あきがくつろいでる場所とは違う場所に
部屋着を 置くと、あきは100%その部屋着の上まで移動して寝るのが最期までの日課だった
そこに、のんとはなが一緒に寝るっていうのが我が家の光景
部屋で何かを食べると こんな顔してねだられるので
あきの気をそらすのが必死だった
亡くなる4日前の写真。
4.5キロあった体重も3.1キロまで激減したけど、
あきは最期までほんとに一生懸命生きてた
この時には点滴の吸収率がすごく悪くなってた
まるで私の帰りを待ってくれてたかのように 私が部屋についてすぐ1回目の痙攣が発生
でもなんとか耐えてくれた
そのときの私は まだまだあきと一緒にいたかったからがんばって!!って祈ってた
そしたら30分もしないうちに、むくっと起きて おいしそうにご飯まで食べてた。
他の猫も一切あきからはなれなかったので、あきの死がこんな近くにまで来てるとは思わなかった
私は、あきがおいしそうに食べてたのでデジカメを探してた時に2回目の痙攣
もしかしたら、1回目の痙攣の時に、造血剤の注射を打てばどうだった?
という後悔がありますが、でも もう ほんとに苦しそうに息してるのをみてると
今度は、がんばって!!ではなく 楽になってほしいという気持ちのが勝った
もういいよ、あきちゃん。ありがとう!私と一緒にいてくれてほんとにありがと!!
あきのおかげで私は幸せだったよってあきに一生懸命言ってた
でもやっぱり 『死』には後悔が付き物
色んな思いがあふれてとまらない
17時23分
私のほほを手でさわりながら永眠
享年 15猫生
私と一緒に生きてくれてほんとにありがとう
4月18日 11時 あきは空高く上がっていきました
あきの嫌いな雨予報でしたが、この時までは天気も待ってくれてよかった
如月さん ももさん あきのためにお花ありがとう
亡くなってからお骨になるまでの2日間 頭と後ろ足の死後硬直はあったけど
おなかや、前足(関節まで曲がる)の死後硬直が全くなく、
焼いてくれた人も、柔らかいままのあきの体を触ってびっくりしてた
きっと 亡くなる当日朝の点滴のせいなのかな?
だから、私も焼くまでの間、触るたびにほんとに他界したのか何度も確かめてしまった
あきが亡くなってから 空を見あげる事が多くなった私
あきと繋がってるような気がするから・・・
空を見るくせがついた私は、
今日も、昼間 雨の合間に少しだけでた晴れ間を見てると
同僚が後ろから『あ!あきちゃん 元気に走ってるやん』と
びっくりして振り返ると、同僚もうっすら涙浮かべて
『さっきの見えへんかったん? そんな悲しそうな顔して見てるから見えへんねん
あきちゃん 絶対 今も幸せやで!!心配せんとき。』
私にもいつかあきが元気に走ってる姿 空を通してみれるといいな
今は心にそこまでの余裕がないけど、でもいつか微笑みながら見えると思う
★余談★
あきが亡くなった夜、私は異常なほどの寒気に覆われた
暖めても暖めても手・足先の冷たさは自分でも怖くなる位だった
そして、喉がほんとに渇く。。。
水を飲んでも飲んでも潤わない
これが翌日の朝まで続いた
もしかしたら、あきはここ最近、ずっとこんな体調だったのではないかと思った
点滴も吸収されてないから、いくら暖かい点滴を入れても、数時間もたてば
点滴も冷めて 冷めたまま、体にひっついてるのだから寒いに決まってる
そして、慢性的な脱水症状・・・
あきは寒がりだったのに・・・・そこまで気が回らなくてほんとごめんね
こんな過酷な状態のまま、ずっとがんばってくれたあきに感謝です
あっこのちょっとした記録のための記事です
最後にあきの最期の写真もあるので見たくない人は閉じてください
15年前にあきと出会い、あきはカラスに食べられかけたおなかの負傷時に私と出会う
病院で命の峠を越え 私の元にやってきた
あきはビニール袋をまるめたおもちゃで遊ぶのが大好きな子だった
何回遠くに投げても、私のもとへ、口にくわえてもってきて そういう遊びをしてた
ここは あきのお気に入りの場所
でも、病気になってここに乗れなくなっても 乗ろうとするので
何回も乗せてはおろしてを繰り返してた
生クリームが大好きなあき
2階のベランダでくつろぐのが大好きで 気持ち良さそうにしてた
あきが2.3歳のころに お手とお座りを教えたらけっこうすんなり覚えたので
それから 我が家に来た猫ちゃんはみんなお座りとお手をするようになった
寒がり屋さんで、いつもハナとストーブ前の陣取り合戦をしてた
結露を舐めるのが好きで、あきの冬の風物詩となった
いつも3にゃん一緒で猫団子を作ってた
猫ベットを買っても、3にゃん 1つに集まるので私はいつもほほえましくみてた
尿の量・回数 ごはんを食べる量等 気になったため、病院に行くと、
2009年3.15 慢性腎不全と診断される
体に変化が出た状態で診断結果だったので
腎臓の7割がもうすでに稼働していない状況だった
残りの3割で動いていない7割分も一緒に稼働しないといけない事になってしまった
ここからあきにとって生きるためのつらい闘病生活が始まる
3。4日に1回の点滴が徐々に増え、最終には1日2回も
あきの体に針を刺さなければいけない事態になってしまった
なのに、あきはほんとにいい子で、抵抗もほとんどしなかった
私には この後姿がすごくつらかった
小さいころから魚(刺身も水煮も好き)が好きで釣るたびにあげてた
あきは、私の部屋着の上で寝るのが好きで(あきの上にあるピンクのズボン)
私は面白がって、服を着ては脱いで あきがくつろいでる場所とは違う場所に
部屋着を 置くと、あきは100%その部屋着の上まで移動して寝るのが最期までの日課だった
そこに、のんとはなが一緒に寝るっていうのが我が家の光景
部屋で何かを食べると こんな顔してねだられるので
あきの気をそらすのが必死だった
亡くなる4日前の写真。
4.5キロあった体重も3.1キロまで激減したけど、
あきは最期までほんとに一生懸命生きてた
この時には点滴の吸収率がすごく悪くなってた
まるで私の帰りを待ってくれてたかのように 私が部屋についてすぐ1回目の痙攣が発生
でもなんとか耐えてくれた
そのときの私は まだまだあきと一緒にいたかったからがんばって!!って祈ってた
そしたら30分もしないうちに、むくっと起きて おいしそうにご飯まで食べてた。
他の猫も一切あきからはなれなかったので、あきの死がこんな近くにまで来てるとは思わなかった
私は、あきがおいしそうに食べてたのでデジカメを探してた時に2回目の痙攣
もしかしたら、1回目の痙攣の時に、造血剤の注射を打てばどうだった?
という後悔がありますが、でも もう ほんとに苦しそうに息してるのをみてると
今度は、がんばって!!ではなく 楽になってほしいという気持ちのが勝った
もういいよ、あきちゃん。ありがとう!私と一緒にいてくれてほんとにありがと!!
あきのおかげで私は幸せだったよってあきに一生懸命言ってた
でもやっぱり 『死』には後悔が付き物
色んな思いがあふれてとまらない
17時23分
私のほほを手でさわりながら永眠
享年 15猫生
私と一緒に生きてくれてほんとにありがとう
4月18日 11時 あきは空高く上がっていきました
あきの嫌いな雨予報でしたが、この時までは天気も待ってくれてよかった
如月さん ももさん あきのためにお花ありがとう
亡くなってからお骨になるまでの2日間 頭と後ろ足の死後硬直はあったけど
おなかや、前足(関節まで曲がる)の死後硬直が全くなく、
焼いてくれた人も、柔らかいままのあきの体を触ってびっくりしてた
きっと 亡くなる当日朝の点滴のせいなのかな?
だから、私も焼くまでの間、触るたびにほんとに他界したのか何度も確かめてしまった
あきが亡くなってから 空を見あげる事が多くなった私
あきと繋がってるような気がするから・・・
空を見るくせがついた私は、
今日も、昼間 雨の合間に少しだけでた晴れ間を見てると
同僚が後ろから『あ!あきちゃん 元気に走ってるやん』と
びっくりして振り返ると、同僚もうっすら涙浮かべて
『さっきの見えへんかったん? そんな悲しそうな顔して見てるから見えへんねん
あきちゃん 絶対 今も幸せやで!!心配せんとき。』
私にもいつかあきが元気に走ってる姿 空を通してみれるといいな
今は心にそこまでの余裕がないけど、でもいつか微笑みながら見えると思う
★余談★
あきが亡くなった夜、私は異常なほどの寒気に覆われた
暖めても暖めても手・足先の冷たさは自分でも怖くなる位だった
そして、喉がほんとに渇く。。。
水を飲んでも飲んでも潤わない
これが翌日の朝まで続いた
もしかしたら、あきはここ最近、ずっとこんな体調だったのではないかと思った
点滴も吸収されてないから、いくら暖かい点滴を入れても、数時間もたてば
点滴も冷めて 冷めたまま、体にひっついてるのだから寒いに決まってる
そして、慢性的な脱水症状・・・
あきは寒がりだったのに・・・・そこまで気が回らなくてほんとごめんね
こんな過酷な状態のまま、ずっとがんばってくれたあきに感謝です
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テーマ : ペットの健康・病気・怪我
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