日本三大東照宮の1つ 【久能山東照宮】
※東照宮(とうしょうぐう)とは徳川家康を祀る神社のこと
ただ・・・日本三大って・・・諸説ありすぎて・・・というか、家康が亡くなって遺言で遺体は久能山に埋葬されることになり、東照宮が建てられ
一周忌の時、日光(栃木県)にも東照宮を建てたあと、徳川将軍家や親戚の松平家などが全国に東照宮を建てまくったので(明治時代以降、廃仏毀釈が進み、廃社や合祀が相次ぎ、約700社が確認されてて現在現存する東照宮は130社と言われている)
なので二大は確実なんでしょうが、実は三つ目がはっきりせずややこしそうです・・・。
鳳来東照宮にも、日本三大と表記があるけど、例えば愛知県岡崎市の滝山東照宮にも同じことが明記されているそうです
それとか、久能山に一旦葬られるが家康公の遺言でなくなった翌年に日光東照宮に移動する時に立ち寄った
(埼玉県)喜多院に立ち寄り(現:仙波東照宮)天海僧正が4日間丁重な法要を厳修して家康像を作り祀ったからここが三大の一つだと言われてたりと・・・
まぁ。ほんと色々です
それにしても「靈牌は三州大樹寺(現:愛知県岡崎市 大樹寺)」というのもびっくりでしたが・・・
大樹寺と岡崎城(家康が生まれた城で2つは直線上に建ってる)現在も間には
塞ぐような建物は建てないとなってるそうで、大樹寺から岡崎城を見ることができます
昔に日光東照宮をみて感動した私ですが、日光東照宮はもう一度参拝したい・・・
という事で、その前に静岡県の久能山東照宮へ
いつかお参りしたかったのでワクワクしながら向かう
表参道はちょっとすさびれた感がありましたが・・・

一ノ鳥居

久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)の全体図

鳥居をくぐると石畳の階段が続く
左側に梅園が広がってたので春に伺うとより趣があるでしょうね。

一ノ鳥居をくぐるとすぐ右側に久能山徳音院があって家康公ゆかりの寺と記された看板がある。
徳音院は家康から三代将軍まで仕えた南光坊天海により開かれた寺とのこと



そして駿河稲荷社


ひたすら階段を登る・・・

初老の筋肉と診断された私の筋力がすぐに限界に近づき息が上がる・・・汗
途中で休めるようになってるので休み休み進む。
海がこんなに下に見える・・・

そしてまだまだ登る

一ノ門

一ノ門をくぐると正面に門衛所がありました
そしてここから左側に日本平からでてる「ロープウェイ」乗り場があります
私のように麓から登ると約1159段の階段があり、久能山東照宮の最奥部まで、約30分~40分要するので
体力のない方や時間短縮されたい方はロープウェイを利用した方がいいかもです
そして・・・やっと 楼門が見えてきた

拝観口に「国宝久能山東照宮」とあり、参拝料(大人1人500円)を支払う
右側に久能山東照宮博物館があったけど、まっすぐ進む


楼門入ってすぐに家康公の手形がありました
私は慎重154センチなので、手形もぴったり♪

右側に厳島神社と稲荷神社

右側に鼓楼、左側に五重塔跡と神厩(家康公の愛馬の厩舎)
鼓楼

神厩

唐門と透塀
灯籠まで徳川家の家紋♪

きらびやかな唐門がみえる


神楽殿

神楽殿前に広がる休憩所?

そして神楽殿横に謎の・・・ガンダムw

唐門をとおり拝殿に近づく

徳川家の家紋付きのお賽銭箱

透塀

そして拝殿(正面)
さすが東照宮・・・ほんとにきらびやか


拝殿から唐門を見た図

拝殿の階段1つをとってもすばらしい


感動しながら見回って・・・ふと気がつくと・・・
なんか・・・SPいますけど??
時代劇みたいなかっこしてる人がたくさんいますけど??


静岡で有名なお茶屋さんの祈祷っぽいです。

そして・・・お茶のサンプル配ってくれます・・・
そしてそして大人数でのご祈祷があって・・・全然中を見れる感じでもなく
追いだされるようにして奥に進む
横も凄い装飾!!!

反対側





拝殿の後ろ側から見る

そして一番奥(写真右側)にある西向きに建てられた「神廟」 徳川家康の墓



来てよかった!!!
久能山東照宮について(HPより)
久能山東照宮は、徳川家康公をご祭神としておまつりする全国東照宮の創祀です。
徳川家康公は、天文11年(1542年)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)にお生まれになり、あらゆる艱難辛苦の末、戦乱の世に終止符を打ち、江戸時代260余年にわたる世界に其の比を見ない「泰平の世」の礎を築かれ、学問、産業、文化の基礎を確立し近世日本の発展に偉大な功績を残されました。
晩年は大御所として駿府城に在りましたが、元和2年(1616年)4月17日、波乱に満ちた75年の生涯を閉じられました。
徳川家康公は生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残されました。
この御遺命により御遺骸を久能山に埋葬し、その地に2代将軍秀忠公の命により久能山東照宮が創建されました。
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